全国の有名寺院にお墓や永代供養はあるの?ないの?を調査しています。今回の有名寺院は、東京上野にある寛永寺(かんえいじ)です。
寛永寺は西の比叡山に対し、東の天台宗の拠点として創建されたとして知られていますが、墓地はあるのか?永代供養はあるのか?といったお墓のことはあまり認知されていないですね。
実は、寛永寺には運営している納骨堂と墓地があり、さらに、永代供養のできるお墓もあります。
この辺りの寛永寺のお墓や永代供養についてをもっと詳しく、また、基本情報や見どころ、宗派や歴史なども分かりやすくまとめています。
このページは、東京でお墓や永代供養を探している、寛永寺に納骨したい、とお考えの方へ向けた内容です。
東京上野・寛永寺とは
寛永寺は、東京都台東区にある天台宗の別格大本山の寺院です。
寛永寺は比叡山延暦寺に倣って、1625年、江戸城の鬼門の方角に創建されました。山号である東叡山は「東の比叡山」が由来です。
創建当初は徳川家の祈祷寺でしたが、のちに菩提寺になりました。徳川家の歴代将軍の墓所があるとしても有名です。寛永寺の徳川将軍家墓所には、将軍15人のうち6人(家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定)が眠っています。それ以外の将軍は芝公園の増上寺の墓所に眠っています。
今の東京国立博物館や上野動物園が建っている上野公園一帯が、以前は寛永寺の境内でした。
東京上野の寛永寺までは、駅から歩いて訪れるアクセス方法がおすすめです。
最寄り駅はJR鶯谷駅です。鶯谷駅の南口から約10分歩くと寛永寺に到着します。上野駅からお寺まで歩くには少し遠いので、鶯谷駅がおすすめです。
車の場合は、参拝者用の駐車場はないので、近くのコインパーキングを利用します。
東京上野・寛永寺にお墓はある?
上野の寛永寺に、霊園や墓地や納骨堂などといったお墓があるのかどうかを調べてみました。
結論として、寛永寺が運営しているお墓は3つあります。内訳としては霊園が2つ、納骨堂が1つです。
まずは2つの霊園から紹介します。一つは谷中霊園(たになかれいえん)、もう一つが徳川浄苑(とくがわじょうえん)です。この寛永寺が管理している両霊園を合わせて寛永寺霊園とも呼んでいるようです。この霊園では一般的な墓石タイプのお墓を建てることができます。
なお、谷中霊園は都立霊園として知られていますが、一部、寛永寺が所有している墓地があります。そこには徳川幕府15代将軍の徳川慶喜の墓所もあります。
両霊園とも、寛永寺のお寺から少し離れたところにあります。寛永寺のお寺から谷中霊園まで歩いておよそ7分かかります。徳川浄苑も谷中霊園のすぐ近くにあります。ともに最寄り駅はJR日暮里駅です。
そしてもう一つ、寛永寺が運営している納骨堂を光明閣(こうみょうかく)といいます。光明閣にはロッカー式の納骨壇と合葬合祀タイプのお墓の二種類の納骨形式が選べます。
近年お墓の種類は多種多様になってきています。一般的な墓石や納骨堂や樹木葬などと、一言で「お墓」と言っても色んなお墓の形が存在します。
寛永寺の場合、従来の墓石を建てたいのであれば谷中霊園か徳川浄苑、納骨堂や合祀墓がいいのであれば光明閣を利用されるのがよいでしょう。
また宗派を問わないのでどなたでも申込できます。
寛永寺のお墓に関する資料請求や見学予約は、直接問い合わせるのがスムーズです。
- 谷中霊園、および徳川浄苑:0120-353-257
- 光明閣:0120-973-680
石材店をお探しの方には「墓石ナビ」をおすすめします。無料で、複数の石材店の見積もりを依頼することができます。
東京上野・寛永寺に永代供養はある?
続いては、寛永寺に永代供養はあるのかどうかを調べてみました。
結論として、上野の寛永寺では永代供養ができます。
補足ですが、永代供養とは様々な理由によってお墓参りにいけない遺族に代わって、お寺や霊園がずっと供養しつづけることです。
寛永寺の永代供養は、光明閣のみで行っています。先ほど紹介した谷中霊園や徳川浄苑では永代供養を行っていません。
寛永寺の光明閣にはロッカー式納骨壇と合祀墓の二つの納骨方法がありますが、どちらを選んでも永代供養ができます。回向や読経といった故人の供養を永代にわたって続けるだけでなく、お墓(納骨した遺骨)の管理も遺族に代わってお寺がしてくれます。
光明閣を申し込む際、過去の宗派は問いませんが、納骨した後の法要回向は寛永寺の儀式に従って行われます。なので天台宗以外の宗派の方は、家族や親族とも相談しておくべきでしょう。
その点もふまえて、寛永寺の永代供養を希望する方は直接お問合せしてください。
- 光明閣:0120-973-680
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この先は、東京上野・寛永寺の見どころや歴史、宗派について紹介していきます。
東京上野・寛永寺の見どころと特徴
上野の寛永寺の見どころは、2つ挙げられます。根本中堂(こんぽんちゅうどう)と上野の大仏です。
まずは、一つ目の見どころは、根本中堂です。寛永寺の本堂になります。1698年に建立されました。当時は今の上野公園の大噴水の地に建っていましたが、幕末の上野戦争で焼失し、現在の地に移築されています。根本中堂のなかにはご本尊の秘仏薬師三尊像が安置されています。
見どころ二つ目に紹介するのは、上野の大仏です。1631年に寛永寺最初の大仏が造られましたが、地震や火災で消滅と再興を繰り返し、現在では顔の部分のみが大仏山パゴダ(仏塔)の脇に保存されています。胴体を失った顔面は「これ以上落ちない」という意味で「合格大仏」とも呼ばれ、受験生らの合格祈願の場所になっています。
東京上野・寛永寺の歴史や伝説
1625年、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門にあたる上野の地に、天海によって開山されました。
その後、第4代将軍 徳川家綱の霊廟が造られて徳川家の菩提寺になりました。また東叡山主を皇室から迎えたことで、江戸時代には格式と規模において全国有数の大寺院でした。
しかし幕末の上野戦争によって、寛永寺の敷地のほとんどが焼失しました。それが今の上野公園です。
そのあとも地震や戦争の被害に遭い、戦後は霊園を造営して一般の檀家を受け入れるなどとして、盛んにお寺の運営を行われています。
東京上野・寛永寺の宗旨宗派
何度か触れてきましたが、寛永寺は天台宗の別格大本山です。ほかにも関東総本山ともいわれています。
寛永寺の山号は、東叡山(とうえいざん)と言い、比叡山延暦寺から名付けられています。さらに山号だけでなく、境内の伽藍も比叡山に倣って造られたものがほとんどでした。
現在は寛永寺の子院は19か寺あります。
【まとめ】寛永寺にお墓や永代供養はあるの?
いかがでしたでしょうか。
総括しますと、寛永寺が管理しているお墓は、霊園が2つ、納骨堂が1つあります。そのうち光明閣という納骨堂で、永代供養ができるお墓をもつことができます。
つまり、従来の墓石を建てるならば寛永寺の霊園(谷中霊園か徳川浄苑)へ、永代供養やロッカー式納骨壇や合祀墓を希望されるなら光明閣を使用されるのがよいです。
寛永寺にあるお墓はどれをとっても宗派を問わないので、どなたでも申し込むことができます。また、お墓じまいした後の改葬の遺骨も納骨できます。
東京都台東区周辺のお墓や永代供養をお探しの方は、ぜひ一度、寛永寺も検討してみてください。
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