【全国の有名寺院にお墓や永代供養はあるの?ないの?】を調査します。今回のお寺は、京都市北区の「金閣寺」です。正式名称「鹿苑寺」は、足利義満が建立した、金色の建物として大変有名なお寺ですが、金閣寺(鹿苑寺)が何宗のお寺なのか、お墓や墓地のことってあまり知られていないですよね。そこで、京都・金閣寺(鹿苑寺)の見どころと、少し視点を変えて、金閣寺のお墓や墓地、永代供養について調査しました。このページは、京都でお墓や永代供養を探している、金閣寺に納骨したい、とお考えの方へ向けた内容です。
それでは、金閣寺のお墓や永代供養について触れる前に、金閣寺の基本情報や見どころを詳しく紹介します。
京都・金閣寺(鹿苑寺)とは
京都市北区にある金閣寺(きんかくじ)は、日本歴史の授業や教科書に頻出する、古都京都の伝統的な建物の一つです。1994年には「古都京都の文化財」の一部としてユネスコ世界遺産に登録されています。
金閣寺を建立したのは、室町時代の三代将軍、足利義満です。正式名称は、義満の法号にちなんだ鹿苑寺(ろくおんじ)という名前です。
金閣寺というと、池の真ん中にある金箔張りの建物をイメージですよね。その建物は舎利殿 金閣と呼ばれています。舎利殿 金閣が有名になりすぎて、通称、金閣寺と呼ばれます。
建物の造りや様式が室町時代の建築様式で当時の文化を表しています。しかし、舎利殿 金閣は、1950年に焼失しており、現在の建物は古い資料や図面などを元に復元再建されたものです。
金閣寺の境内には、舎利殿 金閣だけでなく、その他の仏殿やお堂やお庭もあり、お寺全体の雰囲気が奥ゆかしく感じられる京都の観光スポットと呼べます。歴史の教科書などで頻出されるお寺なので、修学旅行の学生がよく見かけられます。
金閣寺とともに有名なのが銀閣寺です。金閣寺と銀閣寺は、車で20分ほど離れた場所に建っています。お寺を建てた人物も違います。金閣寺は足利義満ですが、銀閣寺は室町幕府8代将軍の足利義政です。ただし、銀閣寺は焼失して再建することがなかったので、当時のままの建造物を見ることができます。
金閣寺へのおすすめの行き方・アクセスは、バスです。
京都市バス「金閣寺道」のバス停で下車し、金閣寺道を数分歩くとお寺も入口に着きます。また、駐車場が完備されているので、車で行くことも可能です。一番近くの最寄り駅である京福電鉄「北野白梅町」駅から金閣寺まで徒歩20分もかかるので、最寄り駅から歩くのは、少し遠いかもしれません。
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京都・金閣寺(鹿苑寺)の見どころと特徴
金閣寺の見どころは、やはり金閣です。冬の雪景色をバックに映える金閣はとても綺麗、と有名です。周りの池に移る金閣もまた、景色に彩りが足されて風情があります。金閣寺の境内へ入ると、昔にタイムスリップしたかのような感覚にもなります。
金閣の見どころは景色や風情だけではありません。金閣は室町時代の北山文化にあった建築様式の代表例でもあります。
金閣の建物は、三層で成り立っています。二層と三層は、漆の上から純金の箔が貼られており、屋根にはサワラの薄い板を何枚にも重ねた柿葺(こけらぶき)が使われています。また、上には中国でめでたいとされている鳳凰(ほうおう)が輝いています。
建築技法で言うと、一層は寝殿造、二層は武家造、三層は中国風の禅宗仏殿造で構成されています。つまり、金閣は、公家文化・武家文化・中国からきた禅宗文化の三つの文化様式を上手く調和させた、室町時代の代表的な建物なのです。一説によると、金閣の三層の並びは、将軍である自分(義満)の権力を表したものではないかとも言われています。
ちなみにですが、日本の文化と貿易をしていた中国の文化を織り交ぜた当時の文化のことを、北山文化と呼びます。
京都・金閣寺(鹿苑寺)の歴史や伝説
金閣寺(鹿苑寺)は元々鎌倉時代の公卿 西園寺公経の別荘だったのですが、室町幕府3代将軍であった足利義満が譲り受け、そこに北山殿と呼ばれる山荘を建て、その北山殿から義満は政治を執り行いました。すなわち、金閣寺は当初、足利義満の別荘でした。
金閣を中心としたお庭や建築物は、極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして北山文化の発展に貢献した舞台です。足利義満が亡くなった後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山として、義満の法号である鹿苑院殿から二字をとって「鹿苑寺」と名づけられました。
室町時代の衰退とともに、周りのお寺や鹿苑寺の境内の一部も戦に巻き込まれて焼失に合いましたが、舎利殿 金閣は焼失を免れました。その後、紆余曲折を経て昭和時代に入ります。
そして、1950年、金閣寺放火事件が起こります。お寺の学僧であった者によって、当時は国宝と定められていた金閣が放火にあい、金閣自体や内部にあった像などが全焼しました。現在の金閣は復元再建した物のため、国宝に登録されていません。
京都・金閣寺(鹿苑寺)の宗旨宗派
金閣寺(鹿苑寺)は、臨済宗相国寺派の塔頭寺院です。銀閣寺も、相国寺の塔頭寺院にあたります。
本山である相国寺は、京都市上京区にある本山寺院です。末寺は日本各地に約100か寺あります。相国寺も室町幕府3代将軍、足利義満によって創建されたお寺です。
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京都・金閣寺(鹿苑寺)にお墓はあるの?
金閣寺(鹿苑寺)には、墓地がありお墓もあります。京都の観光スポットというだけでなく、れっきとした臨済宗のお寺なので僅かですが檀家さんもいるようです。葬儀も執り行われます。
ただし、誰でも申し込めるような墓地ではありません。今は募集も行っていないことでしょう。恐らく、墓地の募集が行われたとしても、檀家関係が永く続いていないと受け付けてもらえないような、厳しめの寺院墓地だと思われます。
個人的な見解ですが、鹿苑寺側としては観光や旅行客を集めることでお寺の運営を回せるので、墓地やお墓にあまり注力していないのではないか、と思います。
なお、金閣寺(鹿苑寺)の墓地は境内にありますが、一般人は立ち入ることができません。
京都市北区でお墓をお探しの方に、下のサイトをおすすめします。
京都・金閣寺(鹿苑寺)に永代供養はあるの?
金閣寺(鹿苑寺)には、お墓や境内墓地はありますが、永代供養はありません。
もう少し調べてみると、京都にある臨済宗相国寺派のお寺には、永代供養はないようです。ただし、京都にある臨済宗のお寺(相国寺派以外の宗派)となると、いくつか永代供養ができる臨済宗のお寺があります。
墓じまいの石材店をお探しの方には【墓石ナビ】をおすすめします。
【まとめ】金閣寺(鹿苑寺)にお墓や永代供養はあるの?
いかがでしたでしょうか?
金閣寺の見どころ、歴史や宗派、お墓や永代供養についてをまとめてきました。
京都の有名な観光スポットである金閣寺。素晴らしい情景を持つ金閣寺で遺骨を納めたいと思われても、現状は不可能です。金閣寺には境内墓地がありますが、檀家さんしか受け入れが厳しいことでしょう。
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