【全国の有名寺院にお墓や永代供養はあるの?ないの?】を調査します。今回のお寺は、国内外問わず多くの方が訪れる京都の観光名所「清水寺」です。清水の舞台や清水坂などで大変有名なお寺ですが、清水寺が何宗のお寺なのか、お墓や墓地のことってあまり知られていないですね。
そこで、京都・清水寺の見どころと、少し視点を変えて、清水寺のお墓や墓地、永代供養について調査しました。このページは、京都でお墓や永代供養を探している、清水寺に納骨したい、とお考えの方へ向けた内容です。
清水寺のお墓や永代供養について触れる前に、まずは、清水寺の見どころなどを詳しく紹介します。
京都・清水寺とは
京都府京都市東山区の清水寺(きよみずでら)は、奈良仏教 法相宗の寺院でしたが、現在は法相宗から独立し、北法相宗の大本山寺院となっています。
お寺は、音羽山の中腹に建てられています。清水寺は同じく京都の広隆寺、鞍馬寺と共に、794年の平安京遷都より以前に創建されています。京都の数ある寺院のなかでも、かなり古い歴史を持つ寺院です。
清水寺を連想させるものとして「清水の舞台から飛び降りるつもりで」ということわざがあります。清水の舞台とは、清水寺の本堂からせり出している舞台を指します。本堂のことを指すこともあります。日本古来の伝統工法による丈夫な構造で崖の上に築かれており、その舞台の高さは約13mになります。ずっと昔には、信仰のために飛び降りた者がいたとか。
清水寺には国内からの旅行客のみならず、海外からの旅行客も訪れる日本京都の世界遺産です。秋の紅葉の季節や修学旅行の時期は、本当に多くの人で賑わいます。
清水寺への行き方としてオススメなのは、京都駅からバスに乗車し、清水寺近くのバス停で下車後、お寺の本堂まで繋がっている清水坂と呼ばれる坂を歩いて上って観光する方法です。最寄り駅の清水五条駅から歩くことも出来ますが、徒歩では少ししんどい距離なので、清水五条駅からもバスやタクシーを使うことをおすすめします。
また、紅葉シーズンの京都市内はどこもかしこも人が溢れているので、じっくり清水寺観光を楽しめません。個人的には、春が過ぎた新緑のシーズンなどに行かれることがオススメです。ちなみにですが、清水寺の境内にある地主神社は、縁結びの神社として人気です。よく友達に連れられておみくじをひきにいった思い出があります。
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京都・清水寺の見どころと特徴
1994年、清水寺は古都京都の文化財の一部としてユネスコ世界遺産に登録されています。そんな清水寺の見どころは、やはり世界遺産に登録されている数々の重要文化財です。
特に、清水の舞台で知られる「本堂」は、国宝に指定されている清水寺一番の文化財です。お寺の紹介などで流れるPR映像は100%、本堂が映し出されていると言っても過言ではないほどの認知度です。今や、景色を眺望すること場所として清水の舞台は大変人気ですが、本来は景色の眺望ではなく、お寺のご本尊である観音様に、芸能を奉納する場所として使われていました。現在でも特別な法要会の時に、舞台奉納が行われます。
本堂は、錦雲渓という崖の斜面にせり出して建てられています。本堂の内々陣にはご本尊である千手観音立像が安置されています。本堂のご本尊は、写真非公表で、33年に一度だけ開扉される秘仏です。さらに、清水の舞台を構造している技法はとても特殊で「継ぎ手」と呼ばれます。釘を一切使わずに139本ものケヤキの柱を組み上げて舞台のせり出し部分を支えています。
そして、国内最大級の高さ約31mを誇る「三重塔」も見どころの一つです。三重塔も重要文化財に指定されています。三重塔は、平安時代初期にあたる847年に創建されて、江戸時代の1632年に再建されています。塔の内部には、大日如来像が祀られており、四方を取り囲む壁には真言八祖像が、天井や柱には密教仏画や飛天、龍などが描かれています。清水寺のシンボルです。
三つ目の見どころは、清水寺という名前の由来ともなっている「音羽の瀧」です。音羽の瀧に流れ出る清水は、昔、金色水、延命水と呼ばれ、お清めの水として尊ばれてきました。三筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願します。また、音羽の瀧の真上にある奥の院も重要文化財として、歴史を感じられる建物です。
京都・清水寺の歴史や伝説
清水寺の創建は、778年、奈良時代の後期です。
坂上田村麻呂が修行中の延鎮と出会ったことで、清水寺の歴史が始まったとされています。延鎮に観世音菩薩の功徳を説かれて、教えに感銘を受けた坂上田村麻呂は、観世音菩薩を祀るために、自身の自邸を本堂として寄進したそうです。その後、810年には嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となり、北観音寺という寺号を賜ったとされています。
平安時代から長く法相宗の奈良・興福寺の支配下だった清水寺は、奈良・興福寺と滋賀・延暦寺の争いに度々巻き込まれました。その影響もあって、清水寺は記録に残るだけで9度も焼失を繰り返しています。近世に入り、興福寺の住職・法相宗管長であった大西良慶が清水寺の住職に就任すると、1965年、法相宗から独立して北法相宗を開宗しました。
また、「清水寺」(きよみずでら、せいすいじ)は日本各地に多数存在しており、その中には、坂上田村麻呂の開創したなどの言い伝えを持つ寺院があります。
京都・清水寺の宗旨宗派
現在の清水寺の宗旨は、北法相宗です。北法相宗の大本山寺院です。
創建当初は南都六宗の一つである法相宗でした。中世・近世においては法相宗、興福寺(奈良)の末寺だった歴史があります。また、平安時代中期は真言宗を兼宗していたり明治時代には一時的に真言宗醍醐派に属したりと変遷を繰り返しますが、1885年に法相宗に復宗しました。
そして1965年、清水寺の住職であった大西良慶氏が、法相宗から独立して北法相宗を開宗しました。大西良慶氏は、清水寺の中興の祖と呼ばれています。
京都・清水寺にお墓はあるの?
ここまで清水寺の見どころ、歴史、宗派について詳しく説明してきましたが、次は本題である清水寺のお墓についてお伝えしていきます。
結論からいうと、京都・清水寺にはお墓はありません。霊園や墓地もありません。
元より清水寺が属する法相宗をはじめとする南都六宗(奈良仏教系)の宗派は、葬儀や法事を執り行わないことがほとんどです。奈良時代から続いている宗派の多くは檀家制度ができる前の宗派なので、そもそも檀家を持っておらず、葬儀を行うという風習がないのです。
例えば、法相宗の僧侶が亡くなった場合、浄土宗などの他宗派のお寺で葬儀を執り行います。お墓についても、葬儀を執り行ったお寺のしきたりに従って埋葬するか、もしくは宗旨宗派を問わない墓地へ遺骨を埋葬するのです。
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京都・清水寺に永代供養はあるの?
では、永代供養はどうなのでしょうか。
こちらも、結論からいうと、清水寺の永代供養はありません。
法相宗には亡くなった後の法要や供養という風習がほとんどないのです。つまり、法相宗に属する方がどうしても永代供養を行いたい場合は、宗旨宗派を問わない霊園や永代供養のお墓を選んで、永代供養を行います。
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【まとめ】清水寺にお墓や永代供養はあるの?
調べた結果、思い入れのある京都の清水寺に「遺骨を納めたい」「永代供養をしたい」と考えても、京都の清水寺には遺骨を納めたり供養をしたりする風習がありませんでした。しかし、京都には沢山の寺社仏閣が存在します。京都市東山区周辺にもたくさん有名なお寺が建ち並んでいます。その中には、お墓や霊園・永代供養を持つ有名寺院もあります。ぜひ他の寺院も検討してみてください。
観光名所としてのイメージが強い清水寺ですが、お寺の歴史や宗派なども知って訪れてみると、違った視点で清水寺観光を楽しめると思います。
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